長い歴史の中で常に大阪の文化の中心であったのが、難波という街。
「食いだおれ」とか「お笑い」という直球イメージを濃厚に引き受けた大阪の代名詞的存在という位置づけは、新名所ができようが南船場や堀江にまでミナミが拡大していこうが、変わるわけがない。

 その歴史はさすがに古く、江戸時代のはじめに安井道頓という人物が私財を投げうって計画した運河、つまり道頓堀川の完成とともに発展したという。そしてその川の南側に「五座」と呼ばれた5つの寄席小屋が競うようにでき、一大歓楽街として栄えていったそうだ。

正弁丹吾亭

バー花本

丸福珈琲店

サヴァ?

サンタ
アンジェロ

SEN利休
(センリキュウ)

Chi li nn
(チリン)
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 今や、その「五座」も浪花座を残すだけとなり、それに代わってド派手な看板がこれでもかと幅をきかせ、川面にはきらびやかなネオンがギラギラと輝く。まるで街全体がテーマパークのような光景は、大阪以外の人が真っ先に連想する「コテコテ」なイメージそのものだろう。
 そんなコテコテもギラギラも難波に違いはないが、それだけじゃないのが、この街の奥深いところ。巨大なビルや派手な電飾看板の間には、横丁っぽい小路が今もなお存在しているし、そういう場所にはこの街が昔から醸し出してきた「におい」や「アジ」を伝えるいい店が隠れていたりするんだから。
 例えば、法善寺横丁。「水掛け不動さん」の門前にある路地であり、大阪が生んだ文士・織田作之助ゆかりの地でもある。きらびやかな街のド真ん中にありながら、ここだけタイムスリップしたかのようなノスタルジックな情景をみせる石畳には、時代に左右されない店が軒を連ね、粋な人に愛され続けている。

 難波にはそんな横丁的風景、つまり「ええトコ」ストリートが多く存在する。そして、名店であっても気取りがなく敷居が低いところが、この庶民派の街の成せる業だったりも…。街を歩いてそんな店に飛び込み、人とじかにふれあって食べたり飲んだりする。そうすれば、難波という街がもっと深くわかるはずだ。


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