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堺の地名の由来となった場所?!「方違神社」

NATTS 4月号 特集 教科書には載らなかった 堺の歴史ロマンめぐり


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方違神社の起源は古く、崇神天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津・河内・和泉の三国の境に位置しているため、“三国(みくに)山”“三国の衢(ちまた)”また“三国丘(みくにがおか)”と称されていました。
三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には、行基が布施屋を設け、旅人の休憩場所となるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には、熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったといわれています。また、明治元年の京都から東京へ遷都の際には、17日間の祈祷が行われています。
現在も、引越しや旅行の際に、全国から多くの方が参拝に来られています。
毎年5月31日の例大祭「粽祭(ちまきまつり)」には、悪い方位をはらうという、菰(こも)の葉で埴土(境内の土)を包んだ粽を奉納する神事を行っています。
(方違神社の説明看板より)
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また、ゆかりの人物として、弘法大師空海や平清盛、徳川家康などが方違神社の社伝で紹介されています。
空海…延歴23年(804)、空海は唐へ旅立つ前に、旅の安全を祈願した。
平清盛…安徳4年(1180)、平清盛の奏請により、安徳天皇の福原(神戸市中央区・兵庫区付近)遷都の成就祈願をした。
徳川家康…元和元年(1615)、徳川家康は大坂夏の陣のときに、今井宗薫に命じて武運長久を祈願した。

説明看板にも書かれていた「三国山」や「三国丘」は、境内の手水舎や石碑で見ることができます。
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NATTS誌面でもご紹介しましたが、摂津・河内・和泉の三国の境に位置していることから、“堺”という地名が付いたとも言われています。

平成22年に創始2100年を迎え、紀元前からの歴史がある神社で、今年建て替えが完了した社殿は、内外観とも美しい建物となっています。
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方災除けの御利益がある粽。
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境内には、「神功皇后御馬繋之松」と書かれた石碑があります。
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これは、神功皇后が御馬をつながれたと伝えられる旧蹟で、神功皇后と方違神社との関わりは、方違神社の御由緒に書かれていました。

創祀より時を経て、神功皇后は夫である仲哀天皇の死後、朝鮮半島に出兵し新羅・高句麗・百濟を平定した。皇后は新羅から凱旋の途中、皇子(後の応神天皇)とは腹違いの2人の王子の叛乱に遭うが、住吉大神の御神教により、5月晦日、御自ら沢山の平瓦を作って天神地祇を祀り、菰の葉に埴土を包み粽として奉り、方災除けを祈願して皇軍を勝利に導いた。後にこの地に神霊を留め、方違社と尊び奉る。
方違神社のホームページに記載の御由緒より)

旅行に行く前やお引越しの際は是非お参りして、旅の安全や方角の祈願をしてくださいね。



方違神社

住所 堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1
TEL 072-232-1216
時間 9:00~16:00
拝観無料
アクセス 堺東駅下車徒歩約8分




次回は4月20日(金)に更新します!
お楽しみに!

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